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Interview :『パプーシャの黒い瞳』ヨアンナ・コス=クラウゼ(Joanna Kos-Krauze)監督

書き文字を持たないジプシー社会に生まれ、詩を書くことですべてを失ったパプーシャ。ポーランドで知られるジプシーとして初の女性詩人の波乱の生涯を描いた『パプーシャの黒い瞳』が描く、激動の時代の中で翻弄され、失われていったジプシー文化とは?

ーージプシーは日本人にはあまり馴染みがないものですが、監督がジプシー文化に興味を持ち、映画にしようと思った理由を教えて下さい。

ヨアンナ・コス=クラウゼ監督

ヨアンナ・コス=クラウゼ監督


ジプシーというテーマは、必ずしも日本人になじみがないとは思いません。どの社会にも、すぐ近くに暮らしながらよく知らず、それ故に非常に魅力的であると同時に恐怖の対象になる「異なる人々」はいますよね。そうした人々との出会いが映画のテーマです。

ーー映画を観て最も不思議に感じたのは、ジプシーの文化に対する秘密保持の厳しい姿勢です。どの文化も「自分の伝統・文化を他者に知って欲しい」という気持ちがあると思うのですが、ジプシーがそれを嫌うのは何故でしょうか。

それは国を持たない民族に共通するものかもしれません。異文化と交わることによって、民族として消えてしまう可能性があるからです。秘密にすることは、自分たちの伝統文化を守ることだったんです。特に言語に関しては、部外者に知られないようにしていました。

もうひとつ付け加えなければいけないのは、彼らが絶えず移動しながら生活する「ノマド」で、西側でいうところのいわゆる「教育」を受けていなかったということです。 民族のアイデンティティの形成と継承には国土と教育が必要だと思うのですが、ジプシーはその両方を持たなかった。その引き換えとして、頑なな秘密保持の姿勢が生まれたのではないかと思います。

ーーこの作品はジプシーの言語であるロマニ語で撮影し、本物のジプシーの人々も出演しています。その点でご苦労はありましたか?

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シナリオを描いている最中に、ロマニ語で撮るべきだと気づきました。それはジプシーの俳優たちが即興で演じられる空気があることのほうが、私が内容を正確に理解することよりもずっと大事だと思ったからです。 もうひとつには、私たちとジプシーたちと距離感から、逆に見えてくるものがあると思ったのです。私たちはジプシーの視点から映画を作ろうとは思っていませんでした。そういう映画はジプシーが――例えばフランスのトニー・ガトリフ監督のような人が――撮っていますから。

問題は言語よりも文化でした。撮影前には映画スタッフを集めて、ジプシーの女性と年長者に対してどうふるまうべきかを勉強しました。ジプシー社会には家父長制に基づく厳格なヒエラルキーがあります。ですから年長の男性たちは、当初は私を始め、衣装や美術などを担当する女性スタッフからの指示には我慢ならず、耳を貸してくれませんでした。

そんな彼らが次第に変化していったのは、ある種の使命感が芽生えたからだと思います。彼らの中には実際にクンパニア(ジプシーのキャラバン)の馬車の中で生まれた人もいたのですが、そうした「もはや現存しないジプシーの世界」を映画で再現するならば、正しい形で観客の記憶に残さなければいけないと、彼らは考えたのです。

――それは「ジプシーの秘密を外に漏らしてはいけない」という感覚が、現在は変化してきているということでしょうか?

そこは非常に複雑な部分です。今日のジプシーの中にも「パプーシャは裏切り者」「(彼女を世に出した作家の)フィツォフスキは悪者」と考える人はいますが、多くの人たちはパプーシャの存在を誇りに思っています。彼女の詩が表に出たことは激震ではありましたが、おかげで自分たちの文化の痕跡が残ったわけですから。 さらに言えば、フィツォフスキとの出会いも絶妙なタイミングでした。

当初は即興で言葉を紡いでいただけのパプーシャが詩を書くようになったのは、フィツォフスキの説得があったからと言われています。フィツォフスキがジプシーと一緒に生活したのは、第二次世界大戦後すぐ、つまりジプシーが定住を強いられる最後の2年間です。つまり移動する民族としてのジプシーを記録できる最後の瞬間だったんです。 もしフィツォフスキとの出会いがもう少し後であれば、ジプシーというもの自体が消えていたかもしれません。

もうひとつ知って頂きたいのは、第二次世界大戦で、民族内の人口比率として最も多い割合で虐殺されたのがジプシーだということです。「ノマド」であり西欧的な教育を持つインテリがいなかったジプシーは、ユダヤ人のように自分たちのトラウマを社会に訴え、議論を引き起こすことができなかった。そんな中で、その役割を買って出たのがフィツォフスキだったことは、非常に重要だと思います。例えばパプーシャの長編詩には、ジプシーの虐殺や、ボーウィンで起きたユダヤ人虐殺を題材に描いたものがあります。それはフィツォフスキが証言を集め、詩にするよう仕向けたものなのです。

――文字を持たないジプシーの中でただ一人文字を書いた女性が、「パプーシャ(人形)」と呼ばれていたことは、とても示唆的ですね。

実際、それは非常に重要だし、象徴的だと思いました。なぜこういう名前が付けられたのか、実はよくわかっていないんです。ポーランドに住むジプシーは名前を二つ持った人が多く、彼女も戸籍上は「ブロニスワ・ヴァイス」という名前ですが、ジプシーたちは「人形」と読んでいた、その二重性は興味深いと思います。 ただ彼女に関することも含め、ジプシーの記録には多くの矛盾があり、どこまでが歴史的事実でどこまでが伝説やおとぎ話なのかよくわからないのです。

歴史によって彼女の人生がどこまでゆがめられたのか、どこまでが彼女の力だったのか。冒頭に「この娘は、ジプシーの誇りになるか恥になるか、どちらかだ」というセリフがありますが、彼女が誇りだったのか恥だったのか、幸福だったのか不幸だったのか、なかなか明確には判断はできません。でも彼女やフィツォフスキがいなければ、多くのものが失われていたことだけは確かです。人生の価値は、痛みをもってしか生まれないものだと私は思います

――「ブリューゲルフレーム」と呼ばれるロングショットの美しい風景を、とてもじっくりと見せていますね。あの表現にはどういう狙いがあったのでしょうか。

時間をかけてゆっくりと見せたのは、観客にある感情を引き起こしたかったからです。 今の映画は何もかもが早く、モンタージュも数秒の間に次の映像に変わってしまうものばかりですよね。でも人間が生きるリズム、考えるリズムはもっと別のリズムなのではないかと思うのです。例えばラース・フォン・トリアーという監督は独自のリズム感というもの提示していますけれど、私たちは「継続する」ということの価値、辛抱強さ、あるいは思索というものを、このリズムで表現しようとしました。この作品はある意味で「喪失」についての映画で、それを感じて頂きたかったのです。

共同監督で夫のクシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼ監督

共同監督で夫のクシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼ監督

――監督が撮影した美しい風景の中で、日本の方に是非訪れてもらいたい印象的な場所を教えてください。

3つ推薦しましょう。ひとつはジプシーのクンパニアが移動する場面を撮った「ヴァルミア・マズーリ県」の湿地帯。映画の多くの場面を撮った「ケルツェ」と言いう町。そして山間の「ノヴィゾンチ」という町。この3つの場所はいずれも、ポーランドの歴史的に興味深い場所です。例えば「ヴァルミア・マズーリ県」はかつての東プロイセンと呼ばれた旧ドイツ領です。第二次大戦後、ポーランドの領土が西に移動した結果、ドイツ人が退去したその場所には、東から来たポーランド人が強制移住させられた歴史を持つ興味深い場所です。「千の森と都の国」と呼ばれ、自然も大変に美しい場所です。是非訪れて下さいね。

※「ジプシー」とは 欧州各国社会の周縁部に散在して激しく差別・迫害されながらも神秘化されてきた多様な少数民集団をさし、主流社会が使ってきた英語による総称。各国に様々な呼称がある中、1970年代の「ロマ民族主義」の運動により「ロマ」という総称的自称が生まれたが、広く共感を得るに至らず、現在でもそれを受け入れていない集団も多い。 (プレス資料より総意抜粋)

text:shiho atsumi

パプーシャの黒い瞳』 
監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ(『借金』『救世主広場』『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』)
撮影:クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
音楽:ヤン・カンティ・パヴルシキェヴィチ
キャスト:ヨヴィタ・ブドニク(パプーシャ)、 ズビグニェフ・ヴァレリシ(ディオニズィ) アントニ・パヴリツキ(イェジ・フィツォフスキ)

4月4日(土)より、岩波ホール他全国順次公開
配給 ムヴィオラ
原題:PAPUSZA ポーランド映画|2013年|ロマニ語&ポーランド語|モノクロ|1:1.85|5.1ch|131分|DCP 字幕翻訳:松岡葉子 字幕協力:水谷驍、武井摩利
© ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013